澱ノ道

澱みに浮かぶ塵芥は 身どもの心の有り様で

澱ノ道の3本柱

んべろんべろ

 

細かい所はその人の好きに任せる、
それが澱ノ道 澱みさえ思っていれば後は思い思い、
好きなように澱みに親しんで良い、的なことを書きました。
そこで、ツゥバケだけではなくそれに補足して
いくつか言語化しておきます。
 
・観澱(かんでん)
 澱み水を見つめそこに自らの心の澱を映す。
 
・唱澱(しょうでん)
 「んべろんべろ」「あぼいあぼい」、きぜい地にて澱みを前にして唱える。
 
 酷暑の折、寒風の折、悪天候の折、または心身の不調の際、
 無理に澱みを求めてきぜい地を訪ねることはありません。
 そのときは室内にてただ心に澱を想い描き、
 内にて「んべろ」と唱えよ。
 これを内唱澱(ないしょうでん)という。
 
・遊澱(ゆうでん)
 澱を嫌わずむしろ戯れ、救い・安らぎを感じる。
 澱み水の景色(や画像・写真)を愛でる、鑑賞する。
 
この3つが主たる柱です。

間抜けに生きて、よしとする。

りきまず漂い、澱に倣う。

澱ノ道とは、世の急流からそっと離脱し、澱みに安住する生き方です。
それは成果や発展を離れ、間抜けさと安らぎ・前向きな諦観に生きる道です。

 

ただ一心に 心に澱みを想って
ただ無心に 心の澱みを映して